JIJIMUGE|埼玉県支部勉強会を終えて

先日5月17日、都山流尺八楽会 埼玉県支部の勉強会で講師を務めさせていただきました。
拙作「JIJIMUGE(じじむげ)」を題材に、約3時間にわたって基礎的な音作りのレクチャーを交えながら、楽曲についての講演を行うという内容です。参加者は20名ほど。正直なところ、参加者が集まらないのでは・・・と思っていたので、たくさんの方にご参加いただけたことに驚きと感謝の気持ちでいっぱいでした。尺八歴も私より長い方々ばかりで、私などがお伝えできることが果たしてあるのだろうかと始まる前は、そんな不安を抱えていました。
「JIJIMUGE」という作品について
「JIJIMUGE」は、2025年にテキサスで開催された World Shakuhachi Festival で、参加者全員(200名以上の尺八奏者)で一緒に演奏するために作った作品です。
この作品を書くにあたり、尺八のルーツにも深く関わる仏教、そして仏教哲学について改めて学ました。「JIJIMUGE」という言葉は、密教の「四法界(しほっかい)」の中の一つ、「事事無礙法界(じじむげほっかい)」に由来しています。とても複雑で深い概念なので、ここでは詳しい解説は割愛しますが、ご興味のある方はぜひ調べてみていただければと思います。
World Shakuhachi Festivalについてはこちら
東洋と西洋、そして「内側に目を向ける」ということ
大きな枠で語るならば、仏教を含む東洋哲学は、西洋哲学とは少し違う方向性を持っているように感じています。
西洋哲学が目の前の具体的なものに対して思考を巡らせていくのに対して、東洋哲学は自分自身の内なるものに目を向けて、そこから世界を捉え直していく。そんなふうに、私は解釈しています。
もちろん、行き着く先はどちらも同じ場所なのかもしれません。ただ、そこへ至るルートが違う。
尺八という楽器は、もともと「吹禅(すいぜん)」を行う楽器であり。禅、つまり座禅もそうですが、心を静かにして、無にして、外側ではなく内側にあるものを見つめ直していく時間。そうした禅的な要素が、尺八という楽器には本来的に含まれているのだと思います。
そして音楽そのものも、西洋的な考え方と東洋的な考え方、さらに日本という文化の中で育まれた音楽性とでは、それぞれにいい意味での違いがあるのだと感じています。
現代のクラシック音楽をベースにして音楽をやっている私たち日本人は、どうしても「外側」に向けて音楽性を求めてしまいがちなところがあるのかなと。
私自身もそうですが、誰かと比べてしまったり、「もっとこうしたいのに、できない」と悩んだり。けれどそれは、自分自身を見つめ直すことで、見え方が変わってくる部分もあるのではないかと思うのです。
自分を知ることは、きっと他人を知ることにもつながる。自分がどう吹いているのか、どんな思いを音に乗せているのか、楽器に対してどんな角度で、どの方向へ響かせれば求めている音色になるのか
こうしたことは、自分自身を見つめ直さなければ分からないことだと思います。そのうえでさらに、自分の音と、周りで鳴っている音をより深く聴く姿勢を持つこと。それがこの曲の中で求められていることです。
譜面にほとんど何も書かれていない曲
「JIJIMUGE」は、ほとんどが即興演奏で構成されています。譜面にあるのは大まかな手順だけ。拍子もなければ、リズムもほぼ書かれていません。
ある音が聞こえたら、そこに皆が集まって一緒にその音を演奏する場面。一斉に音を切って「空白」を作らなければならない場面。そうした指示が書かれているだけで、あとは奏者一人ひとりの感覚に委ねられています。
自分の中にあるリズム、音程、そして周りの音への感覚。それらをミックスさせて、調和させていく。普段の楽曲では、なかなか体験できない感覚が要求される作品です。
だからこそ、「果たして皆さんに受け入れていただけるだろうか」という不安が、大きくありました。
嬉しい誤算 ― 埼玉県民の阿吽の呼吸?!
3時間という時間の中で「こんな流れでやろう」と組み立てて臨んだのですが、結果から言うと、その時間を持て余してしまうほど、皆さんの息がぴったり合っていたのです。
即興で吹いていただく場面は、もう少し時間がかかるだろうと予想していました。一斉に同じメロディーを吹く場面も、タイミングが揃わないかもしれないと、多めに時間を取っていました。曲全体を通して「よく分からない」と感じる方もいらっしゃるかもしれない、とも思っていました。
ところが、本当にいい意味で予想を裏切られたのです。講師として聴いている側として、思わず感動してしまう場面がいくつもありました。
作品に育てられる、ということ
「JIJIMUGE」は、2025年のワールド尺八フェスティバルで2回演奏させていただいた後、日本に帰ってきてからもありがたいことに何度か演奏する機会をいただいてきました。
そのたびに、自分自身が書いた時点で予測していた音楽性をはるかに超えたものを感じ取り、新たな気づきを得る時間を毎回いただいています。”曲のほうが私を育ててくれている”そんなふうに感じる作品になったことに、書いた本人として正直驚いています。今回もまた、そうした経験をさせていただきました。
おそらくですが、こうした音作りや、自分自身に目を向けて自分の吹き方・音の出し方を見つめ直す時間を持つことによって、参加してくださったお一人おひとりが、何かしら気づきを感じ取ってくださった結果なのではないかと思っています。
今後もこの曲は大切にしていきたいですし、すでに世界各地で経験してくださった奏者の方々もたくさんいらっしゃるので、いろいろな場面で吹いていただけたらとても嬉しいです。そしてこの作品を一つのステップとして、また次の曲作りにも取り組んでいきたい!
そんな気持ちにさせていただいた、貴重な一日でした。
おわりに
今回、私のような若輩者でありながら講師としてお招きくださり、皆さまにお集まりいただきましたこと、心より感謝申し上げます。
そしてこのご縁で、9月の埼玉県支部の演奏会にも出演させていただくことが決まりました。そちらでもまた、音楽を通した新しいつながりが生まれていけばと願っています。
長くなりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。この文章が、どなたかの心に気づきのきっかけとなれば嬉しいです。


